「星野源のおんがくこうろん」という番組で、ジャズピアニストのキース・ジャレットが取り上げられていました。(2024年10月11日、Eテレ)
ジャズはあまり詳しくありませんが、キース・ジャレットは偉大な、最も尊敬するピアニストの一人です。
番組で紹介されていた生い立ちによると、3歳でピアノを習い始め、8歳でソロコンサートを開催、バッハやモーツァルトの他、自作曲も披露したそうです。その後ジャズの名門バークリー音楽院に進学するも、ピアノ線に直接触れる演奏をして教師に怒られ、逆に「こんな面白い音に興味のない人に教えてもらうことはない」と自主退学したそうです。音楽は自己を自由に表現できるものですが、作曲上も演奏上も意外とルールが厳しく、特に音楽学校ではそういったルールを学ぶ場所ですので、先生の言うことは絶対ですし、ましてや怒られたら「はい、すみません」と言って反省してやめるのが普通の人ですが、後にキースがモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏した時に「世界中の研究家がモーツァルトはこう弾くべきだと言うけれど、モーツァルトは型にはめられるのはいやだと思うんだ。」と語っているように、決められたことをルール通りに行う演奏家ではありませんでした。
ジャズピアニストの小曽根真さんが、キースが奏でる素晴らしい音色の秘密をわかりやすく解説してくれました。「ピアノのペダルは音を延ばす道具と思われているが、ピアノには沢山の弦が張られていて、ペダルを踏んだ時に全ての弦が自由になる。キースはこの響きを上手に使いながらピアノ全部を響かせて弾くことができる」と。
ピアノはダンパーという装置が全ての弦にセットされていて、弦の振動が抑制されています。鍵盤を弾くと、弾いた音のダンパーだけが弦から離れて、それと同時にハンマーが弦を鳴らして音が出ます。ところがペダルを踏むと全てのダンパーが一斉に弦から離れます。これにより全ての弦が解放されるのです。いわゆるヴァイオリンの開放弦と同じ状態です。ヴァイオリンは弦が4本ですが、ピアノは88鍵あります。それら全ての弦がお互いに共鳴しながら音を奏でるのです。キースはペダルを使って、自分の理想の響きを作り出すにはどの音を組み合わせて、どのようなバランスで、どのようなタイミングで、どのような間隔で、どのようなメロディーで、どのようなハーモニーを弾くべきかがわかっていて、その感覚が素晴らしいのです。
「ザ・ケルンコンサート」は累計400万枚以上売れたそうです。これは1975年にケルンで行われたソロコンサートなのでそういうタイトルですが、全編即興演奏によるコンサートの録音です。そもそもジャズ音楽における即興演奏とは、原曲のメロディー及びコード進行を基に奏者の演奏技術の見せ場、聴かせ所として演奏中に組みこまれる一部分のことで、アドリブと言った方がわかりやすいかしれませんが、大変難しく、演奏者自身に構築された音楽とセンスに大きく左右されますが、「ザ・ケルンコンサート」は即興でありながらまるで作曲された楽曲のような内容で、60分以上あるにも関わらず聴いていて全く飽きません。永遠に聴いていたいと思えるような演奏です。最近はフリージャズ奏者による即興演奏もピアノに限らずサックス、トランペット、フルート等もありますが、前衛的で刺激的な音楽が多い中、この「ザ・ケルンコンサート」は、響きとハーモニーが大切にされた、それはそれは美しい音楽です。番組内でこの曲がかかる時に、星野源さんが正面を向いて姿勢を直して、襟を正すような所作をしたのが印象的でした。私もこのCDを聴く時は耳を傾けて、心して聴いてしまいます。
後半ではアルバム「The Melody At Night,With You」の「I Loves You Porgy(1999)」という曲が紹介されました。原曲はガーシュインのオペラ「ポーギーとベス」のアリアで、1996年にキースは両手両足のしびれの症状により演奏ができなくなり、療養中に支えてくれた妻のために感謝の思いを込めて自宅で録音したそうで、星野源さんも心がしんどい時に聴いて救われたアルバムだそうです。私も個人的な身内との別離という状況下でこの曲に出会い、とても慰められた曲です。このアルバムには、ほかにはない特別感がどことなく漂っていますが、キースのそういった背景があったということをこの番組で知り、とても腑に落ちた感じがしました。
2018年には脳卒中で左半身に麻痺が残り、2020年に「動かない左手がもどかしい」と、非常に辛い、絶望的な心境を語っている記事を読み、一ファンながら言葉が出ませんでしたが、この番組で2023年に片手で演奏している姿が公開されていることを知りました。その演奏はきっとまた私たちに新たな希望を与えてくれるでしょう。
番組としては通算9回目の放送で、過去8回で取り上げられた音楽家を見るとかなりマニアックなラインナップですが、その後の音楽史を変えるきっかけとなるようなパイオニアばかりです。星野源さんの音楽も、こういった幅の広い音楽的視野と考察力に支えられているのだと思います。